2018.06.05 Tuesday
見学できます。大工ってすごいなぁ(しみじみ)
事務所脇の棟梁自宅の足場がついに外れました。とはいえまだまだ竣工の見通しは立ちませんが、見学したい方はどうぞお気軽に。
足場のとれた南側外観
内部の梁組
ちょっとエラそうに文章を書きます。悪しからず。
大工文化というのは本当に尊いと改めて感じる。大工は刃物研ぎを通して鍛錬し、巨木に命がけで対峙し、磨いた道具と手で美しい材料にし、力強く組み上げていく。そして仕事の中で自らの「心」に出会っていく。これは体得であり、言葉を超えている。
例えば材木縛り一つとってもそうだ。言葉で教えず、体得した人のやり方をみせる。そしてやらせてみて、上手くいくまで繰り返す。すると考えなくても体が動く。これが体得である。ロープワークはいくら頭で考えてもできるようになるものでない。体で記憶するのである。
あの有名な宮本武蔵が「五輪書」で大工技術を例にして、文章を構成しているかといえば、大工技術に「技術(肉体)」の体得と「心」の得心の方法があるから。武術や兵法も理屈では伝わらない。言葉ではわからない世界を持っているため、一般の人にも当時から馴染みのある大工技術に置き換え、例えているのだ。
一つの驚愕がある。一般の人が見ると圧倒されるうず高く積まれた木材の山に対して、斑鳩建築の職人は全く怯(ひる)まない、ただ淡々と仕事をしていく。これは日々の仕事を通して「心が磨かれている」ためである。大変失礼な言い方になるが、現代の一般住宅の大工さんを応援に呼ぶと、立ちすくんでしまう。どうしていいかわからないとのこと。
それに引き替え、70代ぐらいの大工さんを応援に呼ぶと、腕力、集中力こそ若手に及ばないが、ひょいひょいと木材に加工のための墨(すみ)をつけていく。
この大工さん達は若い時に体に浸みこませてきた技術があり、磨いた心があるのだ。
こういう人達と休憩時間に話をしていると非常に面白い。雑談の中にも笑いと思いやりがある。全ての仕事がこうであればいいなと思う。大工職は日本の残すべき仕事と文化であるのは間違いない。しかし現代の文化主流は、体得、得心を大事な部分として学ばせるための時間を与えない。要するに「待つことができない文化」。
斑鳩建築は携帯が禁止である。現代においてすこぶる不便である。
それでもなお、それを行うのは便利よりも「段取ること=思いやり」、「待つこと」を大切にしているから。今の時代に斑鳩建築のように住み込みで弟子を取るところはゼロに等しくなってきている。これも大工の「心」というものを棟梁との生活を通して得心するための方法である。大切な大工文化なのだ。
昨今、進歩するテクノロジーは人類を幸福にするものである一方で、刃物と同様、利用する側の「心」がなければ凶器となる可能性を大いに秘めている。大工のような「磨かれた心」にテクノロジーが合致して人類の進歩に寄与されることを強く願う。みんなで真剣に考えたい事である。
写真だと凄さが全く伝わらないのが残念で仕方ない。トホホ。